障害を受容することについて
ジロ吉が診断を受けてから、ちょうど1年が経とうとしています
なんだか、すごく遠い昔のようにも思えますし つい最近のことのようにも思えます
私は、ジロ吉の障害を きちんと受け入れることができたのでしょうか?
「自閉傾向」と告知されたときの絶望から 療育を始めたことによって気分も落ち着き
自分でも 少しづつだけど受容してきているのかな?と思っていました
でも、その中で「療育をすれば 定型発達に近いくらいになるかも?」というような
客観的に見れば 諦めの悪い、叶わない夢を見ていたのかもしれないなと つい最近気づきました
ただ その状態も 私には必要なことだったと思います。
それがあったからこそ、精力的に あまり何も考えずに動くことができたし
何もしなかったよりは ジロ吉にとってもよかったと思っています
3歳になって ジロ吉はやはりジロ吉で 自閉的な部分もそのままジロ吉なんだなと思えてきました
たぶん このままジロ吉の成長が 定型発達の子たちの辺りまで追いつくことはないんだろうなということも
もう十分に確信することもできました
診断を受けたときに聞いた「ジロ吉なりの成長」という言葉
最初はあまり耳に入りませんでした
「ジロ吉 なりに」って、もしかして 一生差は縮まらないで 広がっていくだけなの
と不安になりました
でも、今はよくわかります。
本当に 「ジロ吉なりに」 成長しているんです。
順調に発達をしてきている子たちとは どんどん差がついていたとしても
1年後のジロ吉は、1年前よりも成長しているんだな~と 改めて思いました
当たり前すぎて、すみません。
一応 意味のある言葉も言えるようになったし、道路では手もつなげるようになったし・・・・
今まではまったく見当もつかなかった 「1年後のジロ吉」に対しても 大体の目安はついてきました
こういうのも、実際やってみたから気づくことができたのであって 聞いた最初から「ジロ吉なりにね~
」と思えてたらいいんですが
私には必要な経験でした
ある意味、やるだけやった(あんまりできてないけど)ので もうしょうがないなというかんじです
これまでの小さい出来事、ひとつひとつ 今まで考えたことも 全部ひっくるめて
毎日 気分も浮き沈み(表裏一体です)しながら なんとなく落とし所を見つけたというようなかんじでしょうか
やっと 障害児の親としての スタートラインに立つことができたのかなって思います。
でも、今の状態もまた 1年後に振り返ってみれば「まだまだ受容できてないね~
」みたいなかんじでしょうし
それを繰り返していくことによって だんだんと本当の意味で「ジロ吉を受け入れる」ことができるのかもしれません
もちろん、今やっている療育は続けていくつもりです
1年後のジロ吉、どんな成長を見せてくれるのでしょうか?

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なんだか、すごく遠い昔のようにも思えますし つい最近のことのようにも思えます

私は、ジロ吉の障害を きちんと受け入れることができたのでしょうか?
「自閉傾向」と告知されたときの絶望から 療育を始めたことによって気分も落ち着き
自分でも 少しづつだけど受容してきているのかな?と思っていました

でも、その中で「療育をすれば 定型発達に近いくらいになるかも?」というような
客観的に見れば 諦めの悪い、叶わない夢を見ていたのかもしれないなと つい最近気づきました

ただ その状態も 私には必要なことだったと思います。
それがあったからこそ、精力的に あまり何も考えずに動くことができたし
何もしなかったよりは ジロ吉にとってもよかったと思っています

3歳になって ジロ吉はやはりジロ吉で 自閉的な部分もそのままジロ吉なんだなと思えてきました

たぶん このままジロ吉の成長が 定型発達の子たちの辺りまで追いつくことはないんだろうなということも
もう十分に確信することもできました

診断を受けたときに聞いた「ジロ吉なりの成長」という言葉

最初はあまり耳に入りませんでした

「ジロ吉 なりに」って、もしかして 一生差は縮まらないで 広がっていくだけなの



でも、今はよくわかります。
本当に 「ジロ吉なりに」 成長しているんです。
順調に発達をしてきている子たちとは どんどん差がついていたとしても
1年後のジロ吉は、1年前よりも成長しているんだな~と 改めて思いました

一応 意味のある言葉も言えるようになったし、道路では手もつなげるようになったし・・・・

今まではまったく見当もつかなかった 「1年後のジロ吉」に対しても 大体の目安はついてきました

こういうのも、実際やってみたから気づくことができたのであって 聞いた最初から「ジロ吉なりにね~

私には必要な経験でした

ある意味、やるだけやった(あんまりできてないけど)ので もうしょうがないなというかんじです

これまでの小さい出来事、ひとつひとつ 今まで考えたことも 全部ひっくるめて
毎日 気分も浮き沈み(表裏一体です)しながら なんとなく落とし所を見つけたというようなかんじでしょうか

やっと 障害児の親としての スタートラインに立つことができたのかなって思います。
でも、今の状態もまた 1年後に振り返ってみれば「まだまだ受容できてないね~

それを繰り返していくことによって だんだんと本当の意味で「ジロ吉を受け入れる」ことができるのかもしれません

もちろん、今やっている療育は続けていくつもりです

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